そいつが倒れこんできた瞬間、懐かしい香りが鼻をかすめた。 昔どこかで嗅いだ覚えのあるような、心地良い香りだった。 頭と背中を同時に打ったのは、初めてのことだったが。 Twinkle and twinkle ―この手に 光を― 6 そいつは欄干に両手を掛けたまま、呆然と池を見下ろしている。 つられて俺も覗きこむと、柔らかそうな物体が浮いているのが分かった。 「あれ、お前のか」 「はい、そう・・・です」 まるで上の空。こいつ、帽子のことしか頭に無いな。 こうなった原因は、半分は俺の所為でもある。 待っているように言い残し、池の淵へと走った。 靴下を脱ぐと、慣れ親しんだ感覚が足裏から全身を伝う。 小石の刺激も案外いいな。まるで健康サンダルだ、と思う。 周りに廻らせてある形ばかりの柵を越えて、俺は水面に爪先を入れた。 待って、あの人何してるの。 まさか、私が落とした帽子を取ろうとしているの? 見ず知らずの人に、そこまでさせられない。 私が―――あれは私がうっかりしていたせいだ。 橋を渡り、池の淵まで追いかけた。 「大丈夫です、自分で取りますから!」 「いいから」 何を言っても、全然聴いてくれない。 「俺の気が済まないから」 「私の気も済みません!」 言い合っている間に、その人はざぶざぶと池に入ってしまった。 「・・・・ほら」 軽く絞り、それでもまだ湿った感じの拾い物――帽子だな、多分――を わざわざ追いかけて来た女に渡した。 「あ、ありがとうございます・・・本当にすみません」 「すぐ乾かせば縮まなくて済むだろ」 もっと気の効いたことが言えないのか、俺は。 池から足を上げた次の瞬間、右足裏に針で刺されたかのような痛みが走った。 「いってえ!」 「えっ?」 「あ、いや・・・何か、踏んだ」 本当のところ、結構痛かった。 でも、気付かれたら、それはそれでマズイ、・・・よな。 裸足。舗装されていない土手。視界の悪さ。 大抵の怪我や事故は、悪条件が重なった結果起こってしまう。 そうだよね、お母さん。 「待って。ゆっくり、足を上げてください」 一瞬睨まれたようにも感じたけど、今はそんな場合じゃない。 屈んで目を凝らすと、光る何かが足に付き刺さっているのが分かった。 「ガラス・・・・」 割れた瓶の破片かな。とにかく、このままではいけない。 指でつまめる大きさだったのが幸いして、破片は無事に取り除くことができた。 「すぐに消毒しないと」 「いいよ、水で洗えば治るだろ」 「駄目、ちょっと待ってて」 「大丈夫だって」 そのまま靴を履きそうになるこの人を、私は押し留めた。 こんなに積極的な自分は、後にも先にも無かったと思う。 だってこの時は、目の前のことに必死だった。名前も知らない相手に。 自分のせいで、また誰かが不幸になる。 それだけは嫌だった。それだけは避けたかった。 「もういいよ、家で消毒するから」 「いえ、今やらないと。このまま放ってはおけません」 「そんな、大袈裟だな」 「大袈裟なんかじゃありません」 真剣な眼差しに根負けした俺は、言う通りにすることにした。 さっきまではトロそうな感じだったのに、別人だなコイツ。 近くのベンチに腰掛け、右足を女の方に伸ばす格好で治療を受ける俺。 傍から見たら、一体何事だと思われること間違いない。 おまけに、ものすごく格好悪い。 「応急処置はこれで大丈夫。後は、寝る前にも消毒してください」 「お、おう・・・」 「――ごめんなさい、私のせいで」 妙に手際が良い。 少なくとも、素人技ではないことぐらいは分かる。 戸惑った俺は、右足と女の顔を交互に見るしか術が無かった。 一通りの手当てはしたけど、私のせいでこの人に怪我を―――。 治療をしながらも渦巻く、後悔と慙愧の念。 誰かにぶつかってバランスを崩して、偶然この人に助けてもらって でも小島君から貰った帽子を池に落としてしまった。 結果的に、私のせいでこの人が傷ついた。 「本当に、私の・・・」 「違う。お前にぶつかった奴、・・・・部活が一緒だから」 「えっ」 「連帯責任だ」 「でも、あなたは悪くな」 「いいだろ、結果が全てじゃない」 この人の言葉に、少し驚いたけど――心に染みるのが分かった。 公園のイルミネーションが、優しい光で私達を照らす。 ベンチから眺めた光はやっぱり綺麗で、でも少し切なかった。 何故かは分からなかったけど。 ―――to the next story (2006/04/01)